2010年05月30日
ドスパラ静岡店が5月31日で閉店…今までありがとう!
ドスパラ静岡店閉店のご案内
静岡の自作事情を常に牽引してきた、ドスパラ静岡店が、この5月31日までで閉店することになりました。
パソコンのマザーボードやCPU・メモリーなどのパーツが、秋葉原での購入価格並だったり、下手をすると秋葉原価格より安かったり、ここ十数年静岡のトップクラスのショップだったのですが、残念でなりません。
確か、静岡市中心街の伝馬町通り(元新静岡センター裏)のビルの1階が最初の店舗だったんじゃないかと思うのだけれど、当時の職場が近かったので、毎日の様に通った時期がありました。
ドスパラが休みの日は何して昼休みを過ごそうかと手持ち無沙汰になってました。
そこから水落の交番から国1に行く途中のつつじ通り沿いに移転、そして現在の駅南に移転して、駐車場スペースもしっかり確保されて、最近では車でも便利につかっていたのですが、まさか静岡からなくなってしまうとは、まったく予想すらしていませんでした。 続きを読む
静岡の自作事情を常に牽引してきた、ドスパラ静岡店が、この5月31日までで閉店することになりました。
パソコンのマザーボードやCPU・メモリーなどのパーツが、秋葉原での購入価格並だったり、下手をすると秋葉原価格より安かったり、ここ十数年静岡のトップクラスのショップだったのですが、残念でなりません。
確か、静岡市中心街の伝馬町通り(元新静岡センター裏)のビルの1階が最初の店舗だったんじゃないかと思うのだけれど、当時の職場が近かったので、毎日の様に通った時期がありました。
ドスパラが休みの日は何して昼休みを過ごそうかと手持ち無沙汰になってました。
そこから水落の交番から国1に行く途中のつつじ通り沿いに移転、そして現在の駅南に移転して、駐車場スペースもしっかり確保されて、最近では車でも便利につかっていたのですが、まさか静岡からなくなってしまうとは、まったく予想すらしていませんでした。 続きを読む
2009年05月04日
旧三番町小学校近くのパーツ屋(または無線機屋)
これは、知人の情報と、先のエントリ「土手通りにあった小さなパーツ屋さん」にコメントいただいた「世界のあらふぉー」さんの情報を元にした内容です。
私は直接その店に入った覚えはないのですが、どうやらほんの短い期間、三番町小学校近辺にパーツ屋さん又は無線機屋さんがあったようなのです。
★現在わかっている旧三番町小学校(今の番町小学校)近辺にあったパーツ屋さん・無線機屋さん情報
・時期はヨーヨーブーム前後(昭和49年~51年頃)?の短い期間
・旧三番町小学校から文房具屋の丸吉のあいだにあった!?
・時期は昭和54年頃(第2次ヨーヨーブーム?)の数ヶ月間
・旧三番町小学校の前
・店は木造
ご存じのかたがいらっしゃったら、追加情報をコメント・トラックバックをお願いします。 続きを読む
私は直接その店に入った覚えはないのですが、どうやらほんの短い期間、三番町小学校近辺にパーツ屋さん又は無線機屋さんがあったようなのです。
★現在わかっている旧三番町小学校(今の番町小学校)近辺にあったパーツ屋さん・無線機屋さん情報
・時期はヨーヨーブーム前後(昭和49年~51年頃)?の短い期間
・旧三番町小学校から文房具屋の丸吉のあいだにあった!?
・時期は昭和54年頃(第2次ヨーヨーブーム?)の数ヶ月間
・旧三番町小学校の前
・店は木造
ご存じのかたがいらっしゃったら、追加情報をコメント・トラックバックをお願いします。 続きを読む
2009年04月27日
土手通りにあった小さなパーツ屋さん
昭和50年代の一時期、そんなに長い期間ではなかったと思うが、土手通りの屋形町か研屋町のあたりに小さなパーツ屋さんがあった。(土手通り:本通に並行した1本北西の通りで、浅間通りから伸びて昭和通りに直交する通り。)
店の名前は失念してしまったが、大卒ぐらい(に見える)若いお兄さんが応対してくれていた。
そこは、岩崎ラジオや上野無線で見たことのない、珍しいものが置いてあって、「あそこに何か面白いものがある」と友達と見に行った事を覚えている。
小遣いのやりくりで数回買い物をしたが、いつのまにか無くなっていた。
しばらくは前を通るたびに、「あの引き戸を開けるとワクワクするものがあったなあ」と思ったものだった。
※静岡電気街昔話は、主に、昭和50年代に小学生~高校生だった筆者の記憶を元に書いています。不明瞭な記載についてはお許しください。また、間違った記載や詳細、お店の思い出などがございましたら、お気軽にトラックバックやコメントをつけていただけると嬉しいです。
店の名前は失念してしまったが、大卒ぐらい(に見える)若いお兄さんが応対してくれていた。
そこは、岩崎ラジオや上野無線で見たことのない、珍しいものが置いてあって、「あそこに何か面白いものがある」と友達と見に行った事を覚えている。
小遣いのやりくりで数回買い物をしたが、いつのまにか無くなっていた。
しばらくは前を通るたびに、「あの引き戸を開けるとワクワクするものがあったなあ」と思ったものだった。
※静岡電気街昔話は、主に、昭和50年代に小学生~高校生だった筆者の記憶を元に書いています。不明瞭な記載についてはお許しください。また、間違った記載や詳細、お店の思い出などがございましたら、お気軽にトラックバックやコメントをつけていただけると嬉しいです。
2009年04月24日
「マルツ電波」今や静岡市内で電子パーツを買うならここしかない
水落の交番から国道一号線と直交するくつつじ通りをさらに南下し、トヨムラ無線のほぼ向かいにあったのが「マルツ電波」。今でもアオイネオンの隣で営業している。
1982年(昭和57年)に出来た店で、当時とにかくピカピカで、無線機やキットなどが豊富にあった。プリント基板を作るため、銅板を溶かすエッチング液や穴をあけるピンバイスなんかをここで購入した覚えがある。
静岡電気街昔話的には新参者なのであるが、今や静岡市内でトランジスタや抵抗などの電子パーツを買おうと思ったら、唯一の店になってしまった。
今でも2階には無線関係とパーツ類が並んでいて、LED1個からでも購入できる。また最近は雑誌連動型のパーツキットがあり、月刊誌の「トランジスタ技術」などの付録基板に追加するパーツキットなど、公認のパーツが売られている。また、ワンチップマイコンの開発キットやプログラム書き込み器なども置いてあるので、趣味のロボット制作の下準備なんかもやってやれないことはない。
失敗したときのことを考えて、ついつい多めにパーツを買いすぎてしまう。
ちなみに1階は自作パソコン系パーツが置いてあり、掘り出し物が非常にに安かったりする事もあるので侮れない。
■マルツ電波
■マルツパーツ館WebShop
※静岡電気街昔話は、主に、昭和50年代に小学生~高校生だった筆者の記憶を元に書いています。不明瞭な記載についてはお許しください。また、間違った記載や詳細、お店の思い出などがございましたら、お気軽にトラックバックやコメントをつけていただけると嬉しいです。
1982年(昭和57年)に出来た店で、当時とにかくピカピカで、無線機やキットなどが豊富にあった。プリント基板を作るため、銅板を溶かすエッチング液や穴をあけるピンバイスなんかをここで購入した覚えがある。
静岡電気街昔話的には新参者なのであるが、今や静岡市内でトランジスタや抵抗などの電子パーツを買おうと思ったら、唯一の店になってしまった。
今でも2階には無線関係とパーツ類が並んでいて、LED1個からでも購入できる。また最近は雑誌連動型のパーツキットがあり、月刊誌の「トランジスタ技術」などの付録基板に追加するパーツキットなど、公認のパーツが売られている。また、ワンチップマイコンの開発キットやプログラム書き込み器なども置いてあるので、趣味のロボット制作の下準備なんかもやってやれないことはない。
失敗したときのことを考えて、ついつい多めにパーツを買いすぎてしまう。
ちなみに1階は自作パソコン系パーツが置いてあり、掘り出し物が非常にに安かったりする事もあるので侮れない。
■マルツ電波
■マルツパーツ館WebShop
※静岡電気街昔話は、主に、昭和50年代に小学生~高校生だった筆者の記憶を元に書いています。不明瞭な記載についてはお許しください。また、間違った記載や詳細、お店の思い出などがございましたら、お気軽にトラックバックやコメントをつけていただけると嬉しいです。
2009年04月23日
「トヨムラ無線」無線のことならなんでもおまかせ
電気工作少年達は、年を重ねるうちに、その新しい物好きの特性をいろいろな方向に向けていくのだが、電気工作の次のステップの一つとして、「アマチュア無線」があった。
水落の交番から国道一号線と直交するくつつじ通りをさらに南下していくと、「トヨムラ無線」があった。
トヨムラ無線はアマチュア無線用の無線機を多数そろえていて、アマチュア無線初心者の疑問に色々答えてくれた店だった。
1980年前後からよく行ったものだが、中学3年の夏休みに数人の友人と、アマチュア無線の免許取得のために静岡市立高校近くの幼稚園で講習を受けた。(KB先生ありがとう)
今でこそ携帯電話であたりまえのように電波で通信をしているが、当時は自動車電話が出始めの頃でまだまだ一般的ではなく、東海大地震が起きたときの災害時の通信確保のための実用も兼ねた趣味と本気で考えていた。(中3にとっては高い買い物である。親を説得するには、「災害時の緊急通信」と「中学生で国家資格を持つ意味」が大きな武器になった(^^;)
アマチュア無線で利用できる周波数帯のうち、電波の波長の長さから「シックスメーター(6m、50MHz帯)」、「ツーメーター(2m、144MHz帯)」という単位で、安価なポータブル機は主に144MHz帯向けの機器と、さらに周波数が短くアンテナも小型ですむ430MHz帯向けの機器があった。(私は144MHz帯向けのショルダータイプの無線機とアンテナをトヨムラ無線で購入した。)
ちなみに携帯電話では、800MHz帯、1.5GHz帯、1.7GHz帯、2GHz帯を使用している。
イウォークのようなおじさんにアンテナや無線機のことを聞いたり、無線だけでなく、パソコンについても詳しい店員さん(当時一番若かったお兄さん)にも、色々聞いたものだった。一時期他では珍しい、CASIOの16ビットパソコン「FP-1100」の展示デモをやっていたのもトヨムラで、買えないのに遊びに行っては色々話をきいていた。
その後T-ZONEとなって国吉田に移転。そこがOAナガシマになってからは静岡から消えてしまったものとばかり思っていたが、高松地区にトヨムラ無線として店舗があるらしい事がわかった。
今度行ってみようと思う。
※静岡電気街昔話は、主に、昭和50年代に小学生~高校生だった筆者の記憶を元に書いています。不明瞭な記載についてはお許しください。また、間違った記載や詳細、お店の思い出などがございましたら、お気軽にトラックバックやコメントをつけていただけると嬉しいです。
水落の交番から国道一号線と直交するくつつじ通りをさらに南下していくと、「トヨムラ無線」があった。
トヨムラ無線はアマチュア無線用の無線機を多数そろえていて、アマチュア無線初心者の疑問に色々答えてくれた店だった。
1980年前後からよく行ったものだが、中学3年の夏休みに数人の友人と、アマチュア無線の免許取得のために静岡市立高校近くの幼稚園で講習を受けた。(KB先生ありがとう)
今でこそ携帯電話であたりまえのように電波で通信をしているが、当時は自動車電話が出始めの頃でまだまだ一般的ではなく、東海大地震が起きたときの災害時の通信確保のための実用も兼ねた趣味と本気で考えていた。(中3にとっては高い買い物である。親を説得するには、「災害時の緊急通信」と「中学生で国家資格を持つ意味」が大きな武器になった(^^;)
アマチュア無線で利用できる周波数帯のうち、電波の波長の長さから「シックスメーター(6m、50MHz帯)」、「ツーメーター(2m、144MHz帯)」という単位で、安価なポータブル機は主に144MHz帯向けの機器と、さらに周波数が短くアンテナも小型ですむ430MHz帯向けの機器があった。(私は144MHz帯向けのショルダータイプの無線機とアンテナをトヨムラ無線で購入した。)
ちなみに携帯電話では、800MHz帯、1.5GHz帯、1.7GHz帯、2GHz帯を使用している。
イウォークのようなおじさんにアンテナや無線機のことを聞いたり、無線だけでなく、パソコンについても詳しい店員さん(当時一番若かったお兄さん)にも、色々聞いたものだった。一時期他では珍しい、CASIOの16ビットパソコン「FP-1100」の展示デモをやっていたのもトヨムラで、買えないのに遊びに行っては色々話をきいていた。
その後T-ZONEとなって国吉田に移転。そこがOAナガシマになってからは静岡から消えてしまったものとばかり思っていたが、高松地区にトヨムラ無線として店舗があるらしい事がわかった。
今度行ってみようと思う。
※静岡電気街昔話は、主に、昭和50年代に小学生~高校生だった筆者の記憶を元に書いています。不明瞭な記載についてはお許しください。また、間違った記載や詳細、お店の思い出などがございましたら、お気軽にトラックバックやコメントをつけていただけると嬉しいです。
2009年04月22日
「上野無線」静岡の秋葉原
水落の交番から国道一号線の日出町の交差点を突き抜けていくつつじ通り沿いにあったパーツ屋さん。
今のしずおか信用金庫の本店の2ブロック北(ガソリンスタンドの1ブロック南)にその店はあった。
薄暗く狭い間口一杯に、コードや半田ごてやありとあらゆるものがぶら下がっていて、まん中から怪しいおばちゃんが顔を出す異次元空間、秋葉原の駅前電気街が1件だけそこにあるような所だった。
電気工作少年達は、岩崎ラジオと上野無線を往復し、それぞれパーツによって安い方で購入したものである。
1970年代後半から1980年代前半にかけての事である。
第一次パソコンブームの頃には、隣のビルにパソコンショップが出来、毎日すごい賑わいだったが、駅南(今のセントラルスクエアの向かい。カメラのキタムラの北側)のパーツコーナーとパソコンコーナーを統合した広い店舗に移転した。その後閉店したらしい。
※静岡電気街昔話は、主に、昭和50年代に小学生~高校生だった筆者の記憶を元に書いています。不明瞭な記載についてはお許しください。また、間違った記載や詳細、お店の思い出などがございましたら、お気軽にトラックバックやコメントをつけていただけると嬉しいです。
今のしずおか信用金庫の本店の2ブロック北(ガソリンスタンドの1ブロック南)にその店はあった。
薄暗く狭い間口一杯に、コードや半田ごてやありとあらゆるものがぶら下がっていて、まん中から怪しいおばちゃんが顔を出す異次元空間、秋葉原の駅前電気街が1件だけそこにあるような所だった。
電気工作少年達は、岩崎ラジオと上野無線を往復し、それぞれパーツによって安い方で購入したものである。
1970年代後半から1980年代前半にかけての事である。
第一次パソコンブームの頃には、隣のビルにパソコンショップが出来、毎日すごい賑わいだったが、駅南(今のセントラルスクエアの向かい。カメラのキタムラの北側)のパーツコーナーとパソコンコーナーを統合した広い店舗に移転した。その後閉店したらしい。
※静岡電気街昔話は、主に、昭和50年代に小学生~高校生だった筆者の記憶を元に書いています。不明瞭な記載についてはお許しください。また、間違った記載や詳細、お店の思い出などがございましたら、お気軽にトラックバックやコメントをつけていただけると嬉しいです。
2009年04月21日
「岩崎ラジオ」電気工作少年(や元少年)のあこがれの場所
新静岡センター前のお堀に面したところに、「岩崎ラジオ」という電気屋さんがあった。
店内には大きなスピーカーやコード、高級アンプなどのオーディオから無線機やアンテナ、3本足のトランジスタ、抵抗、コンデンサ、ワニ口クリップ、半田ごてなどの電気工作必須のパーツや道具が並んでいた。
それまで電池が使える電気で光るものといえば、豆電球やムギ球ぐらいしかなかったところに、発光ダイオード(LED)という、プラスとマイナスの接続を間違えると光らない不思議な発光体に、SF的な未来を感じていた。
今でこそ、安いところで10個100円でも買うことが出来るが、当時1個数百円のLED(しかも暗い赤や緑、黄色など)は他のトランジスタなどに比べ、機能の割に高いパーツであった。
そういったパーツが小さな区画に分けられたケースの中に所狭しと並んでいて、小遣いを握りしめながら眺めていたものである。
小学生の頃は、鉱石ラジオからダイオードラジオと作成しこんなパーツで家の大きなラジオと同じように電波を捕まえることが出来ることに感動したものである。また、キットになったトランジスタラジオを、熱に弱いトランジスタの半田付けに細心の注意を払いながら作成したり、一定の水位になると音で知らせる風呂ブザーや雨センサーなどの実用的な(?)キットが色々出始めたのもその頃か。
まだ週休2日になっていない土曜日の午後などは、自分のような電気工作少年が、いつも数人パーツのショーウィンドウや電子工作キットの陳列の前でうろうろしていた。
1970年代後半から1980年代前半にかけての事である。
その後、長谷通りから城北高校へ向かう道の途中に「パーツショップイワサキ」として移転。オーディオ系に強いパーツショップとして営業していた。2005年に閉店したらしい。
電気工作少年に夢をありがとうございました。
※静岡電気街昔話は、主に、昭和50年代に小学生~高校生だった筆者の記憶を元に書いています。不明瞭な記載についてはお許しください。また、間違った記載や詳細、お店の思い出などがございましたら、お気軽にトラックバックやコメントをつけていただけると嬉しいです。
店内には大きなスピーカーやコード、高級アンプなどのオーディオから無線機やアンテナ、3本足のトランジスタ、抵抗、コンデンサ、ワニ口クリップ、半田ごてなどの電気工作必須のパーツや道具が並んでいた。
それまで電池が使える電気で光るものといえば、豆電球やムギ球ぐらいしかなかったところに、発光ダイオード(LED)という、プラスとマイナスの接続を間違えると光らない不思議な発光体に、SF的な未来を感じていた。
今でこそ、安いところで10個100円でも買うことが出来るが、当時1個数百円のLED(しかも暗い赤や緑、黄色など)は他のトランジスタなどに比べ、機能の割に高いパーツであった。
そういったパーツが小さな区画に分けられたケースの中に所狭しと並んでいて、小遣いを握りしめながら眺めていたものである。
小学生の頃は、鉱石ラジオからダイオードラジオと作成しこんなパーツで家の大きなラジオと同じように電波を捕まえることが出来ることに感動したものである。また、キットになったトランジスタラジオを、熱に弱いトランジスタの半田付けに細心の注意を払いながら作成したり、一定の水位になると音で知らせる風呂ブザーや雨センサーなどの実用的な(?)キットが色々出始めたのもその頃か。
まだ週休2日になっていない土曜日の午後などは、自分のような電気工作少年が、いつも数人パーツのショーウィンドウや電子工作キットの陳列の前でうろうろしていた。
1970年代後半から1980年代前半にかけての事である。
その後、長谷通りから城北高校へ向かう道の途中に「パーツショップイワサキ」として移転。オーディオ系に強いパーツショップとして営業していた。2005年に閉店したらしい。
電気工作少年に夢をありがとうございました。
※静岡電気街昔話は、主に、昭和50年代に小学生~高校生だった筆者の記憶を元に書いています。不明瞭な記載についてはお許しください。また、間違った記載や詳細、お店の思い出などがございましたら、お気軽にトラックバックやコメントをつけていただけると嬉しいです。
2009年04月21日
静岡電気街昔話について

静岡県庁から南東の方角の景色(一昨年)
昭和の終わり頃、かつて、静岡市には、電気工作(電子工作)に必要なパーツを売っていたり、無線機を売っていたりする、家電量販店等ではない専門的な電気屋さんが沢山ありました。
それぞれのお店が、それぞれの特徴を持っていて、常に時代の最先端がそこにある・・・と、子供心にわくわくした思い出があります。
静岡電気街昔話は、昭和50年代に小学生~高校生だった筆者が、自転車で走り回って通っていた店々の記憶を元に、当時のお店の思い出を少しでも残しておきたいなという想いから、書き始めることにしました。
なにゆえ、小学生~高校生だった筆者の記憶を元に書いていますので、不明瞭、認識不足、かんちがいが多々含まれていると思います。
間違った記載や詳細、お店の思い出などがございましたら、お気軽にトラックバックやコメントをつけていただけると嬉しいです。